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ラクロス (ウィスコンシン州) : ウィキペディア日本語版
ラクロス (ウィスコンシン州)

ラクロス()は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州西部ラクロス郡に位置する都市であり、同郡の郡庁所在地である。ミシシッピ川に沿っており、ウィスコンシン州西側州境では最大の都市である〔http://www.forbes.com/places/wi/la-crosse/〕。
2012年の推計人口は51,647人だった〔http://www.doa.state.wi.us/docview.asp?locid=9&docid=7268〕。ラクロス郡とミネソタ州ヒューストン郡の全体を含むラクロス大都市圏の中核となる主要都市であり、都市圏人口は135,298人となっている〔http://www.census.gov/popest/data/metro/totals/2012/index.html〕。市内には評価の高いウィスコンシン大学ラクロス校〔http://news.uwlax.edu/u-s-news-uw-l-is-no-3-among-midwests-public-colleges/〕、私立のビターボ大学、ウェスタン工科カレッジがある。
== 歴史 ==
ラクロスは1856年に市として法人化されたが、その歴史はそれ以前からあった。ラクロスのある場所を最初に見たヨーロッパ人はフランス人毛皮交易業者であり、17世紀後半にミシシッピ川を上ってきていた。しかし文書による記録は残されておらず、記録としては1805年にゼブロン・パイク中尉がアメリカ合衆国のためにミシシッピ川を遡る遠征隊を率いてきたのが始まりだった。パイクはこの場所を「プレーリー・ラ・クロス」と記録した。この名前は司教杖すなわちフランス語の「ラ・クロス」に似たラケットを使うスポーツから採られており、インディアンがこの地域で楽しんでいた〔''La Crosse of name .'' Retrieved October 31, 2006, from the Wisconsin Historical Society website: http://www.wisconsinhistory.org/dictionary/index.asp?action=view&term_id=3421&〕〔Diary of Zebulon Pike, September 12, 1805, retrieved from "The Expeditions of Zebulon Pike" by Elliot Coues, 1895〕。
1841年、ニューヨーク州生まれのネイサン・ミリックが毛皮交易を行うためにプレーリードゥシーンの村に移動したときに、ラクロスに初めて白人が入植した。その地域には既に多くの毛皮交易業者が入ってきており、ミリックが商売を行う隙間が無かったので落胆した。その結果、まだ入植されていなかったプレーリー・ラ・クロスまで上流に進んで、交易拠点を設けることにした。1841年、現在のラクロス市中心街の直ぐ西にあるバロン島(現在プティボーン公園と呼ばれている)に暫定基地を建設した。翌年、ミリックは基地を本土に移し、共同経営者のH・J・B・ミラーが運営した〔Downtown Mainstreet Inc 〕〔Brief History of La Crosse County 〕。
ミリックが基地を建設するために選んだ場所は、開拓に理想的な所であることが分かった。そこはブラック川、ラクロス川、およびミシシッピ川が合流する場所に近かった。さらにミシシッピ川のウィスコンシン側岸にある幾つかの地点の1つであり、川岸と川のバレーを縁取る高い崖との間に、開発には理想的な広い平原があった。これらの利点があったので、1840年代にはミリックの交易基地周りに小さな村が成長した。
1844年、ラクロスでモルモン教徒の小さな社会ができ、ミリックの基地の南数マイルに数十の小屋を建設した。これらの開拓者はちょうど1年後に中西部から出て行ったが、その住んでいた土地はモルモン・クーリーという名前が残った〔Mormons in Wisconsin 〕。
1850年6月23日、米国聖公会のジェイムズ・ロイド・ブレック神父が、グランダド・ブラフの上で最初のキリスト教礼拝を行った〔The Life of the Reverend James Lloyd Breck, D.D 〕。現在美しい景観を見下ろすことのできる駐車場近くにそのことを記念する碑が崖の上に建っている。
ミリックの交易基地回りにさらに恒久的な開発が行われ、1840年代に店舗、ホテル、郵便局が建設された。ウィスコンシン州副知事ティモシー・バーンズの指示により、1851年に測量士のウィリアム・フッドが村の地区割りを行った。このことが入植を加速させ、東部の新聞が町の宣伝を行った結果として急速に開発された。1855年までに人口は2,000人近くまで成長し、1856年の法人化に繋がった。1858年に、ミルウォーキーとミシシッピ川を繋ぐ2番目の鉄道路線として、ラクロス・アンド・ミルウォーキー鉄道が開通したあとは更に急速に成長した。
19世紀後半、ラクロスはウィスコンシン州でも人口の多い都市になっていた。当時特に製材業の経済中心であり、州の内陸部で切り出された木材がブラック川を使って筏に組まれ、ラクロスの製材所に送られてきた。醸造業やその他の製造業でも中心となった。これはミシシッピ川やミルウォーキーとセントポールを結ぶ鉄道など、交通の要衝にあるという利点を生かしていた。20世紀になる頃、1890年から1912年の間に設立された3つの大学やカレッジがあることで、教育の中心にもなった。
ラクロスはウィスコンシン州西側州境では最大の都市であり続けており、近年は市内の教育機関があることで、地域の技術と医療の中心となる方向に向かっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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